小学校3年の途中まで、団地に住んでいた。
もう20年以上も前のことだが、今でもときおり思い出しては懐かし気持ちになる。
団地と聞くと「古臭い」「人付き合いが大変そう」「民度が低い」などネガティブな印象を多く持たれると思う。
確かに今の時代と比べると、そういう印象を持ってしまうのも仕方ないかもしれないが、当時はわりと普通だったのだ。
自分と同じくらいの子どもを持つ家庭は、団地に大勢住んでいた。
そこでの暮らしが僕は好きだった。
まだ小さかったからというのもあるが、同じ団地に住む友達と毎日何も考えずにただひたすら遊んでいた日々が、自分の中で大切な記憶としてずっと残っている。
今回はその当時を懐かしみながら、団地暮らしでの思い出を書いていこうと思う。
ずらーっと並ぶ白いコンクリートの塊
僕が住んでいた団地はぜんぶで50棟以上あった。
そのため、眺めのいい少し高いところから俯瞰して見ると、白いコンクリートの塊がずらーっと並んでおり、異様な光景だった。
実際に住んでいた僕が思ったのだから、よそから来た人はなおさらそう思うだろう。
50棟以上もある団地のなかで、うちの家族が住んでいたのは3棟である。
白いコンクリートの塊の側面の上の方に、黒字で「3」と書かれていたのを覚えている。
団地の並びは大通りの手前側から小さい番号順に配置されているため、奥の方へ行くほど番号は大きくなっていった。
いくら同じ団地群とはいえそうそう奥の方へ行く用事もなかったため、40棟以降はあまり見たことがなかった。たまに用事があって奥の方へ行くと、知らない場所へ迷い込んだような気持ちになり心細くなった。
団地暮らしでの遊び
団地暮らしならではというわけではないが、スーパーボールを使った遊びをした覚えがある。
とくに難しいものではない。
ただ、スーパーボールを力いっぱい地面に叩きつけて団地の上まで飛ばすという遊びである。
「なにそれ、くだらない」と思うかもしれないが、まだ小学1,2年くらいだった僕と友達がやっていたことなのでそこは大目に見てほしい。
角度に気を付けて思い切り弾ませると、スーパーボールは思いのほか上まで跳ね上がり、そして団地の建物の上でバウンドする。
運が良ければ落ちてくることもあるが、ほとんどはどこかに引っ掛かるかして戻ってこないのだった。つまり、1個ダメにしてしまうのだ。
それでも友達とスーパーボールを持ち寄っては、何個上まで上げられるか競い合った。
これがけっこう難しく、ただ思い切り弾ませればいいのではなく、角度に注意をしなくてはいけなかった。
真上に上がりすぎてしまったり、かと思えば壁にぶつかってしまったりと。
懐かしいなあと思うものの、いま子どもがそんなことをやっていたらきっと叱られるだろう。
他には、ポコペンや缶蹴りなどもよくやっていた。
隠れ場所として団地の階段は定番だった。
そこに身を隠してじっとし、ときおり踊り場から顔をのぞかせて鬼の様子を窺うのだ。
そしてタイミングを見計らって飛び出し、缶を蹴る(ポコペンと言って基点をタッチする)。
あの頃はそれこそ毎日のように、ポコペンや缶蹴りをやっていた気がする。よく飽きなかったなと思うくらいに。
今みたいにスマホがなく、テレビゲームを持っている人もまだ限られていたので、どうしても外で遊ぶしかなかったのだろう。
今の子どもたちは缶蹴りやポコペンをやったことがあるのだろうか。
思い返してみても、ここ数年そういった遊びをしている子どもたちの姿を見かけていない気がする。
そもそも知っているのかどうかもあやしい。
人付き合いは良し悪しある
まあこれは団地に限った話ではないが、人付き合いはいろいろある。
住んでいる人も様々なので、運が悪いと隣や下の階の住民から苦情がくることもあるだろうし、上の階の人の騒音に悩まされるなんてこともあるだろうが、さいわいにもうちは平和だった。
ドアの前におすそ分けが置かれていたことも何度かあった。
しかしやっぱり大勢の人が住んでいる団地なので、なかにはちょっと怪しい、なんだか近寄りがたい住民もいた。
そういう人は噂にのぼりやすく、親だけでなく子どもたちにもそういった情報は伝わっていたので、ああでもないこうでもないと推測だらけの話をしたものだった。
おわりに
数年前ふと気になって、昔住んでいたその団地を訪れたことがあった。
引っ越してからも何度か行ったことはあったのだが、最後に訪れてから10年以上は経過していた。
外壁は塗装工事がされておりきれいになっていたものの、それ以外はなにも変わっていなかった。
もちろん細かいところはちょこちょこ違っているだろうし、中に入ればリノベーションされている部屋もきっとあるのだろうが、パッと見に変化はなかった。
久しぶりに訪れると決まって、自分の家族が住んでいた部屋のベランダを見てしまう。
そのときも少し離れたところから、その部屋のベランダを見上げた。
物干し竿にかかった洗濯物が風に揺られてはためいていた。
過去に何度か訪れたときも毎回同じように洗濯物がかかっており、その光景を見ると、うれしいような寂しいような、なんとも言えない気持ちになるのだった。
お読みいただきありがとうございました。